いぬマン限界日誌

日誌代わりに5分位で書ける記事を投稿します。タイトルの元ネタは「ウ○娘プリティーダービー」です。

166日目 プルースト、巣鴨睦月

 読書の秋ですね(なんで読書と秋が結び付けられてるのかはさっぱり分からない)。ここ最近本を読んでいなかったのだが、無性にプルーストを読みたくなってきて冒頭の20ページほどを読んだ。向こう10年くらいは絵に全振りするつもりだが、プルーストはあまりにも僕の心の深い部分と共振する作家なので今後の人生で何度も何度も立ち返るだろうと思う。僕は不器用な読み方しかできないので年間百冊も二百冊もの本を読むことはまず無理だ。かつては哲学研究者を志望していた(スタートラインにすら立てずに終わったが)こともあり、その時には領域横断的にさまざまな重厚な本を読みこなし、プラトンについて語るかと思えばドゥルーズデリダもカバーしているというアピールも忘れない周りのインテリ学生に劣等感を抱いたものだが、もはやそれも遠い過去の話だ。僕は自己の真実を探求するごく私的な意図を抱く読書家として、一冊の書物、一人の作家にひたすら拘り続けるのが性に合っている。『失われた時を求めて』はその格好の対象ということができるだろう。今後はこの本を核としてその周囲に肉付けしていくようにして本を読み進めていこうと考えている。ドゥルーズの『プルーストシーニュ』は難解そうだけどぜひとも読んでみたいし(ドゥルーズについて語るのはあまりにもハードルが高すぎるけど、彼はマゾッホ論も書いているし何かと僕の行く先に立ち現れる哲学者だ……)、保苅瑞穂のプルースト本はカッチリした論考から名場面紹介的な本まで揃ってて読むのが楽しみだ。あとフランス語もそろそろ基本すら忘れてしまいそうになっているのでプルーストを読みつつ復習していきたい…… プルーストにかんしてはそろそろちゃんとした文章を書いて語りたいと考えている。とりあえず僕が好きな場面は語り手がマルタンヴィルの鐘塔を見ながら一遍の文章を書きつける場面、あとエルスチールが昔ヴェルデュラン夫人のサロンでバカにされてた画家だったことが判明して「人は変わるものですよ少年……」とか強キャラ感出しつつ語り聞かせる場面も好きですね。全体を通して無意志的想起が起こる箇所はどれも感動的です。

 

 そして絵の話。しばらくオリジナルのイラストを描いていなかったのだが、昨日から今日にかけて巣鴨睦月のイラストを下書きの完成くらいまで進めることができた。絵とは素材の寄せ集めであり、知識と経験によってその寄せ集めをいかに巧みに成し遂げられるかだ、と考えたらかなり描くハードルが下がった気がする。あとマゾ向けイラストを描いているととても心が躍ることが分かった。何せ僕が二十年間温め続けてきた理想の具現化だから。くつしたの皺を描き込んでいると神像に生命を吹き込む古代の彫刻家の気持ちもかくやとばかり思われる(言い過ぎ)。とにかく、今は描きたいと思える絵を描くのが一番だ。Twitterでちょっと触れた「えんま大王さま」の作品は必ず仕上げてみせるので。

 

 あと最近の悩みなのだが、革靴があまり合ってないのか平日5日間連続で履いて歩きまわっていると足が痛くなる。スニーカーのように履けるっていう触れ込みの革靴を買ったはずなんだけどおかしいなぁ……  そのせいで休日散歩に行こうとも思えなくなってしまって結構つらい。